桜の樹の下には

毎年この季節になると、梶井基次郎の「桜の樹の下には」を思い出す。

思えば春は私にとって忌々しい季節であると同時に、自分の人生に何かしらの影響を与える季節でもあったな、と振り返って思う。

今年の父の命日は、初めて地元に帰らなかった。理由は特にない。3月11日は黙祷をして、恋人と鎌倉で過ごした。ここの海は素知らぬ顔で穏やかだ。何かしらそれらしいことをブログに記そうか迷ったが、あの出来事を語るとき、その言葉には意味以上の意味がついてしまうようで、それが鬱陶しく感じてやめた。

春休み前、講義でグループディスカッションがあった。在日とは何かという議題に、周りの人から飛び出す発言は、信じられないくらいに差別的で衝撃を受けた。「性悪」「税金泥棒」「野蛮」「気違い」「あっちの女はみんな整形している」「日本から出ていけばいい」。目眩と吐き気、嫌悪感。もっと他に論じるべきことがあるでしょうと頭に血が登りそうになったけれど、言い返す気も起きずにやめた。私たちのイメージでしか彼らを語ることができなかったということに、一体この中の何人が気がついたのだろうか。

その少し前、電車内で見知らぬ女の人に足を蹴られた。明らかに言いがかりだったが、その言葉のアクセントと悪態の語彙で中国人だな、ということがわかった。昔祖父から教えてもらった中国語。電車から降りて、駅員さんの前で話を聞いてもらおうと説得したが、彼女は座席にしがみついて降りなかった。車内の人には誰も助けて貰えず、少し離れたところにいる男性が動きで動画をとっていることに気づいた。その日は仕方なく電車を降り、職場へ向かった。これだから中国人は、とは思わなかったと言えば嘘になる。それでも様々な背景を考えて、関係ないな、と気持ちを落ち着けた。日本人だって、助けてくれなかった。

台湾で地震があり、現地に住む友人に連絡をとった。なんとかやっていきます、と彼女は言っている。知人を亡くしたらしく、これより規模の大きい東北の地震は本当に大変でしたねと言う。東日本大震災の死者・行方不明者数は2018年の時点では22,118名だという。海の底に眠る人々を思う。

私の人生の下にも夥しい数の屍体が埋まっている。春。

 

 

梶井基次郎 桜の樹の下には