非正規の友を亡くして早朝の 白む空だけ残されたまま

今朝、歌人の萩原慎一郎氏の訃報をネットニュースで知った。似たような境遇の人の死に、足元が掬われるような思いでいる。

私は高校を卒業し、正規雇用として小売業で4年半働いていた。その後2年間非正規として働き、夜間の大学へ進学。入学から現在まで依然として非正規雇用の職を転々とし、細々と食いつないでいる。

大学入学時や在学中、何度も正規雇用への転職を試みたことがあった。しかし、当時大学で昼間の講義も受講していた私は、企業の提示する勤務時間に合わせることができなかった。残業なんて以ての外だった。

また、自分が就きたいと思った仕事は殆どが大卒資格の求められる仕事だった。高卒の求人は殆どが非正規雇用で、転職エージェントに登録するも紹介できる求人は無いという連絡だけがただただ来るばかりであった。現在も転職エージェントには登録しているが、その殆どは派遣の紹介か3Kの正規雇用の案内だ。

正規雇用で真面目にコツコツ働いてきた職歴も、労働市場で評価されるものではないらしい。POSデータをエクセルに入力・分析して売り場に活かし、店舗の月目標売り上げを大幅に上回る実績を上げたことも、店舗の財務諸表を分析し、費用の削減に取り組み増収させた経験も、アルバイト採用と教育を行った経験も、国家資格を保持していることも、上司と現場の人間関係を円滑に進めるために中間管理職として機能した経験も、朝8時に出勤して25時に帰る生活に耐えうる体力も、労働市場では能力として価値が低いと見なされる現実に頭がくらくらした。

在学中は社会人時代の貯蓄と非正規での稼ぎで食いつないでいたが、首都圏での生活費の高さは次第に家計を圧迫するようになり、いわゆるワーキングプアとなった。奨学金は返済の目処のない状態で借りることに不安があり、結局現在まで利用していない。大学を続けることも諦めそうになったが、穴があくほど求人情報を見続けた結果、大卒資格さえあれば自分の人生はどうにでもなると思うようになった。かえって今安定を求めて職につくよりも、大卒で就職した方が圧倒的に給与も待遇も高い。たかが資格でと思うが、されど資格がないとどこにもいけないのがこの国の労働市場の現状だ。吉川徹氏は著書の学歴分断社会で大卒はパスポートであると仰っていたが、全く言い得て妙である。

一度挫折しそうになったものの、幸い大学では私と同じ境遇の人たちと何人か出会うことができた。皆志の高い人ばかりで、そして逞しかった。特に同じ研究室で知り合った、美容の仕事を経て大学に入り、30歳を超えて一から就活をスタートし、新卒で大企業に入った先輩の存在がなければ希望を見出せなかったように思う。

現在私も新卒と中途を並行して就職活動をしているが、新卒での就職活動の楽しさには自分でも驚いている。もちろん選考基準は企業によって異なるので、学歴や職歴で弾かれることはあるが、基本的には自分のこれまでの実績を評価してもらいやすい。先日内々定を頂いた企業の方に「あなたは人がやり抜けないような困難をやりきった、本当に素晴らしいと思う」と言って頂いた時、素直にこれまで諦めなくてよかったと思った。と同時に、諦めていたときの自分の人生を考えると背筋が凍るようだった。

また、中途では依然として評価されないことも事実だし、その傾向は強まっているように感じる。基本的に中途市場も売り手とはいえ、企業が欲しいのはポテンシャルを持った人材ではなく専門性があり企業の内部で即戦力となれる人物だからだろう。ちなみに個人的にその傾向は、大企業よりもベンチャーで求められる傾向が高いと感じている。

本来は大学で培った知識を活かして中途で人事部門に入りたい気持ちがあったが、遠回りでも地道にやって行くしかないというのが今の私の見解だ。私の代には不可能でも、いずれ今の若い世代が労働市場に供給される時、柔軟な人事制度が設計できるような人間になっていたいと思う。頑張らなくてはならない。

今、やっと明るい未来の兆しが見えてきた一方で、このまま正規雇用になれずに非正規のままでいたらきっと多くのことを諦めなくてはならなかったのだろうとも思う。そしてその延長線上に死があることは、私にとってはなんの違和感もない。いまでも首の皮一枚で繋がっている思いが私にはある。

そんな中飛び込んできた氏のニュースだったので、どうも人ごとには思えなかった。大袈裟な言い方をさせてもらえるとすれば、同志を亡くしたような気持ちにさせられた。

歌集、買おうと思います。どうか安らかに眠ってください。

 

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