新年の抱負

遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。

去年の末から今年の正月にかけては、高校の数学の学び直しに明け暮れていました。もしタイムマシンがあれば、高校1年の夏に「もう数学なんて一生勉強しない!」と決めた自分をお願いだから考え直せと諭しに行きたいくらいです。

元々出身高校は進学校でしたが、普通の進学校とは異なり総合高校だったため、大枠のカリキュラムに沿って、自分の選びたい科目を選択しなくてはならない制度でした。本来なら、バランスよく科目を選択するべきだったのですが、元々中学の頃から数学が苦手だった私は、高校入学後はこれ以上数学を勉強したくない一心で、ありとあらゆる数学の要素を含む学問を選択肢から除外していきました。

しかし、その後紆余曲折して大学に入学し、いざ卒業論文に取り掛かろうとしたときに、数学の知識が足りないことによって、分析手法の選択肢がぐっと少なくなるという事実に直面しました。もちろん高等数学の知識を必要としない分析手法は多々ありますし、手法として劣ると考えているわけではありません。しかし、昨今のevidence-bacedの潮流に見られるように、科学的な分析手法に基づいた論文は信頼されやすい傾向にありますし、それを形成できるだけのスキルは大学内外問わず必要になってくるものだと考えます。

せっかく大学に入ったわけですし、自分に足りない論路的な思考力、専門的な知識の獲得、アカデミックライティングのスキル等を身につけるためにも卒業論文に挑戦したい。しかし、単位にならない卒業論文を情熱と意欲だけで書くのは(現在私が通う大学は社会人コースに限り、卒業論文が単位認定されません)自分なりのインセンティブを設定しないと難しい。

そこで、自分の作成した卒業論文は、最終的にこのブログで公表することに決めました。

私にとっての卒業論文に取り掛かるインセンティブは、卒論を通じて獲得できるスキルの他に、うまくいけば、社会的に僅かながらインパクトを与えられることだと思います。卒業論文のテーマは福島に限定しますが、震災を経験した宮城、岩手の人たち、その後の熊本の震災や、これから未来にもあるであろう災害被害に遭われる人たちについて、こういう考え方もありますがどうですか、という声を届けたい。そのためには、適当にではなく、そして信頼度の高い分析がしたい。私の論文が誰かを救えるとは思いませんが、せめてその人が苦しむ現実を分析する枠組みを提示することが出来たら。今の自分が言うのは本当におこがましい限りなのですが…

誰に頼まれたわけでもないですし、自分のエゴが大半である自覚もあります。指導してくださる先生は、自分の興味のあることをテーマにと言いますが、本当にこのテーマで良いのか不安になることも多々あります。震災から今日までのことについて、先行研究を読んでも感情が揺さぶられないよう、冷静に対峙して行けるように、もっと学ばなくてはなりません。

しかし、もう数学は勉強したくないという一心で決別したものの、巡り巡って大学で数学を勉強しているのはなんとも因果だな、と思う次第です。人より歩みの遅い人生ではありますが、なんとかやっていきたい所存です。本年もよろしくお願い致します。