春に

震災から4年たっても本質的なところは何も変わっていないのではないかと考える日々です。

今日は中間貯蔵施設が福島にも出来ることが決まったというニュースを見て、頭ではまぁそうなるよねと理解できるものの、一抹のやりきれなさがあるのもまた事実でした。

復興についてなかなか足並みも揃わないのはそれだけ福島の抱えている問題が複雑だということ。この4年の間に明確にされたもの、より深層化していったものを思うと唇をただただ噛みしめることしかできず、そうした自分に苛立つばかりです。

この4年間復興という言葉に振り回され、打ちのめされる人たちを何人も見て来ました。傷ついて心を閉ざし、第一線から退いて行った人たち。わたし自身今でも引き裂かれる想いで、それは体感としてより深まるばかりです。

忘れたくないけど忘れていくこと、時の流れと共に自分の中でも変質していく想いをどうすれば良いのか、どう付き合って行けば良いのかわからずただ怒りと哀しみを持て余している状況を、どうしたら整理できるのか、何が答えなのかをずっと考えていますが、それらしい答えはまだ見つかりません。

地元のひとたちと話していると、ユーモアのなかにもどきっとさせられる瞬間があります。笑い飛ばすことでかなしみを共有しているような。そうした空気を感じると胸が締め付けられそうになって、負けないくらいわたしも笑います。